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ユーカラの里の歴史と人物

 1994年8月にアイヌ民族出身者で初の国会議員(参議院議員)となり、またアイヌ語・アイヌ文化伝承者の第一人者であった故・萱野茂博士(2006年5月没)が、1963(昭和38)年に登別市登別温泉町四方嶺の山頂にあるクマ牧場の隣にアイヌの伝統的な集落を復元再生した「ユーカラの里」は、今年度人事を刷新し再出発を果たしました。
 萱野茂博士の跡を継いだ「萱野茂二風谷アイヌ資料館」館長・萱野志朗氏が、2006年9月に萱野観光株式会社を設立し、その会社設立を期に「ユーカラの里を活性化するための提言」をいただき、その指導のもと、昭和14年にお生まれの貝澤貢男さんを新しいコタンコロクル<村長(むらおさ)>にお迎えし「平取アイヌ文化伝承の里」として再スタートをきりました。
  貝澤貢男氏は、1965(昭和40)年に萱野茂博士らによって「ユーカラの里」を復元再生した際に、チセ建築に携わるなど、アイヌ文化に関する知識や技術を現代に受け継いでいる希有な人材です。さらに貝澤貢男氏は、イタ(お盆)の彫刻を得意としウロコ彫りの名手でもあり、彫刻については萱野茂博士の弟子に当たります。
  アイヌの文化伝承は父から子、子から孫へという場合もありますが、どうしても父子は近すぎて難しいこともあることを知っていて、昔から父親はこの人と目した信頼が出来且つ心を許せる人に自分の培ってきた技術や重要な伝承を託し、それをその人を通じてわが子に教えてもらうと言います。
貝澤 貢男 氏
  コタンコロクルとしてお迎えした貝澤貢男氏は、萱野茂博士へ彫刻の技術やアイヌ語を伝えた貝澤前太郎氏のご子息なのです。つまりアイヌの文化継承の方法によって萱野博士から教わった方なのです。
  今回、かつて萱野博士らが復元再生した「ユーカラの里」へ最も相応しい貝澤貢男・村長をお迎えできたことは萱野博士が心血を注ぎ次世代へアイヌ文化を継承しようとした思いが、萱野茂博士の子息である「萱野茂二風谷アイヌ資料館」館長・萱野志朗氏によって実現されたと言えるでしょう。

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